映画「メランコリア」を独断と偏見で解説

Last Updated:  2019年11月18日

現在Amazon Primeで配信されています。
この映画は最初見た時よく分からなかったんですが、今回改めて、すこしばかりWikipediaで知識を入れてから観てみました。

その上で、独断と偏見で解説してみようと思います。ネタバレありです。


タイトル:「Melancholia」2011年、ドイツ、フランス、スウェーデン、デンマーク
監督:Lars von Trier
出演:
Kirsten Dunst(スパイダーマン、TV版Fargo)
Charlotte Gainsbourg(インディペンデンス・デイ: リサージェンス)
Alexander Skarsgård(True Blood、バトルシップ)
Kiefer Sutherland(24シリーズ)

最初の映像が意味するもの

映画は冒頭、美しい映像が描かれていますが、この映像は何なのか初見ではよくわかりません。

とりあえず脇へ置いといて映画を観ていくと、どこかしら被るシーンが出てきます。全く出てこない描写もあるんですが、それもまた置いといてw。

ところでこの劇中で使われている曲についてですが、ワーグナー作「トリスタンとイゾルデ」の1曲だけが繰り返し流れます。
元々は物語で、あらすじを調べてみるとその作中に「未来を予告する悪夢を見るシーン」があるらしく、そこにこの映像と関係があるのかもしれないと思いました。

さらに映画でもそれを匂わせているセリフもあったりするので、この映像はもしかしたら主人公のジャスティンが見た幻覚か予知夢ではないかと思われます。

そしてその幻覚を見続けた結果、よくわからない不安に襲われ、それを拭いきれず、鬱になってしまったんじゃないかな、と。

劇中で鬱であることは一言も触れてないので「ジャスティンが鬱病である」という情報は取れないんですよね。そういった症状で判断していくしかない。その原因ももちろん語られていません。

というわけで、冒頭の映像を「ジャスティンが幻覚で観たことで鬱にかかった」という仮説を立てつつ、その映像が何を意味しているのか一つ一つ見ていこうと思います。分かる範囲で補足をつけますね。

・鳥の死体が空から落ちてくる
天変地異を表しているのかも。

・中庭の風景

影が日常ではあり得ない付き方で二重になっていて、日時計は二つの時刻を指している。この影の付き方は太陽とは別の、そして太陽と同じくらい大きい光源の存在でなければこうならないため、天体規模で何かが起こっていることを示している。

・絵画

「雪中の狩人」(ピーテル・ブリューゲル作)という絵(Wikipedia)。
疲れ切っている狩人とスケートを楽しんでいる村民の対比が、花嫁のジャスティンと披露宴に出席している人たち(花婿含む)との対比を表してるかも。それが燃やされる=無に帰す。
また劇中ではこの絵を含め、死や悪夢を象徴するような絵を本棚に懸けかえていくシーンがある。

・アンタレスを隠すメランコリア
ジャスティンがアンタレスが見えなくなった事に気づき、さらにジョンがそうなる軌道を通ったと言っている。

・ゴルフのグリーンを子供を抱えて歩く女性

姉のクレアとその息子レオ。しかしグリーンがぬかるんでいて思うように進めない(劇中ぬかるんではいないが似たようなシーンがある)。

・馬が座る
劇中のワンシーン。馬が言うことを聞かなくなる。

・蝶が舞う

・中庭に立つ三人

それぞれの頭上に星があり、ジャスティンはメランコリア、レオは月、クレアは太陽。3人の人物、3つの星。

・地球の軌道を通過するメランコリア
メランコリアは地球から一旦離れる。

・電柱や指先から稲妻が迸る
劇中に異常現象として描かれる。

・ウェディングドレスに紐が絡まって思うように動けないジャスティン

劇中でジャスティンがこの幻想を見たと言っている。

・地球に接近するメランコリア

・中庭の樹が燃えている

・蓮の池に沈むジャスティン

・木の枝を集めるジャスティンと短剣で整えるレオ
ラストのシェルターの材料を集めているシーン。

・メランコリアが地球と衝突する


第一部:ジャスティン

物語はまず「第一部」として、(幻覚を見て鬱病をわずらっている)ジャスティンを軸にしたストーリーが始まります。
最初はジャスティンが結婚し、リムジンで披露宴会場へ向かうシーンから。

鬱を抱えつつも披露宴を無事に終わらせられるよう努力するジャスティンですが、周囲の出来事がそれを許さなかった。それが以下の通り。

  • 自分の希望でリムジンを選んだが、道が狭すぎて通れない
  • 姉夫婦に到着が遅すぎるとグチを言われる
  • 父親が披露宴会場に、元妻がいるのに愛人を二人連れてくる
  • 父がスプーンを胸ポケットに刺し、子供じみた態度をとる
  • 上司が披露宴の最中に昇進を伝えるが、同時に仕事も催促する
  • 父親のスピーチはジャスティンへの祝辞よりも自分と元妻の気まずい関係を語る
  • それにつられて母も暴言を吐く
  • 新郎のスピーチが即興、つまり用意しておらずしどろもどろ
  • 姉が用意し、企画した(つまりジャスティンの意図してない)披露宴をちゃんと行えと言われる
  • 新郎が(良かれと思って&サプライズで)相談もなく土地を購入
  • 姉の夫に(頼んでいないのに)披露宴に法外な額を支払ったから幸せになれと「取引」という名で強要される
  • 上司の部下につきまとわれる
  • 父に話があるから泊まって欲しいと言うが帰ってしまう
  • 披露宴がスムーズに進行できなかった事に姉から「たまらなく憎い」と言われる
  • 披露宴が台無し、新郎も見切りをつけ、破局となる
  • クビにされた部下に言い寄られる

こう挙げてみると、ジャスティンの希望を聞かず周りが勝手に全部お膳立てしていて、それがジャスティンのことを理解せず、気遣ってもいない様にみえます。

ジャスティンは無理して頑張っているのに周囲がやりたい放題ですから、頑張っている自分がバカバカしくなり身勝手に振る舞ってもおかしくありません。

その中で唯一、彼女を慕っているのは甥のレオだけではないでしょうか。
ジャスティンもレオにだけは優しく接します。子供だからというのもあるでしょうけど、それでもジャスティンには落ち着ける存在なのかも。

披露宴については、ジャスティンも最初は周囲の希望に沿うように頑張っていたけど鬱の状態でこれらを乗り越えられるはずもなく、中盤から集中できなくなり自暴自棄になったせいで進行を無視し、クレアとジョンを怒らせ、暴言を吐き仕事を無くし、花婿も去っていく。
周囲からのひどい扱いに加え、自暴自棄とその行いのせいで自己嫌悪に陥れば鬱も深刻化していくでしょう。まさに悪循環となっています。

そして翌朝、アンタレスが見えない事に気づくジャスティン。

第二部:クレア

第二部ではクレアを軸に話が進み、鬱のジャスティンとは対象的に、一般人の象徴としてクレアの行動を描写していきます。

ジャスティンの鬱が悪化してクレアが自分の屋敷で面倒を見ますが、その間に惑星メランコリアが発見され、地球に接近するというニュースが報じられることで、クレアは惑星衝突の不安にかられます。

対するジャスティンはメランコリアが接近しているこを知り、鬱が改善していきます。
今までは生きる希望もなく、自殺すら面倒くさく死ぬことも出来ない状態だった時にメランコリアが現れ、ようやく死ねる、つまり鬱、悪夢から開放されると期待したんじゃないでしょうか。しかも他人に気兼ねなく、誰にも心配させることも迷惑をかけることもなく、待ってるだけで死なせてくれる。
死を希望する人にとってこれほどラッキーなことはないわけで、ジャスティンはその運命をすんなりと受け入れるどころか、自分を死なせてくれるメランコリアに愛着すら感じるようになります。

鬱の原因ではあるものの、天体規模の破壊だから逃げ道はない。鬱を経験したことで生きる執着もなくなり、死の覚悟が出来ているからこそ平静で居られるのでしょう。

そしてクレアも、召使いが突然消息を絶ち、あれだけ地球に衝突しないと言い張っていた夫が衝突すると知るやいなや勝手に一人で自殺したのをみて、自分も死から免れない事を悟ります。

最期を綺麗に終わらせたいというクレアの願いは一般の人なら誰でも思う感情でしょうけど、そういった感情がなくなっているジャスティンは「最低だ」と一蹴します。ジャスティンはおろかレオのことすら考えず、この期に及んでまだ自分の事しか考えていないクレアに腹が立ったのかも。

しかし恐怖で呆然としているレオにジャスティンは優しく気を使い、「魔法のシェルター」を作れば生き残れると信じさせます。
基本的に受け身で他人のためには何もしなかったジャスティンでしたが、レオにだけは自らすすんで行動します。これも印象的ですね。
そして約束であった「シェルターを作る」も果たせます。

この時ジャスティンはレオを抱きしめ泣きそうな表情になります。レオに嘘を付いたことが申し訳ないのか、もしくはレオが死んでしまうことを悲しんでいるのかも。
しかし鬱後にここまで感情が出た表情はなかったので、レオに対してはやはり特別な思いがあったのでしょう。

ジャスティンとレオは木の枝を集め、10本ほどの枝を寄せ合い「魔法のシェルター」を作り上げます。そこに入るジャスティンとレオ、そしてクレア。

一人は死を受け入れ穏やかに、一人は生き残れると信じて願い、一人は死を前に絶望する。

それぞれの感情を心に持ち、メランコリアに呑まれていく。

確実に死ぬしかない時に何を思うか。心構えというのがそもそも出来るのか。そういったことを考えさせる作品なのかも知れません。

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