Last Updated: 2019年12月3日
まずAmazonのカスタマーレビューで知ったんですが、タイトルにある「プロジェクト」とは公営団地や貧困者向けの住居施設のことらしいです。
日本人の感覚だと「企画・計画」の意味が通ってるので「フロリダ計画=リゾート地でなにか楽しい企画をうちあげちゃおう」的にみたいにイメージしてしまいますが(自分もそうだった)、全く違う意味合いなのでお間違いのなきよう:)
あと、コピーにある「魔法にかかる」ほどは自分には受けませんでしたが、なにか色々考えさせられる映画だったので、書いてみようと思います。
タイトル:The Florida Project (2017年、アメリカ)
監督:Sean Baker
出演:
Brooklynn Prince
Bria Vinaite(The OA)
Willem Dafoe(プラトーン、スパイダーマン)
まず映像ですが、映像の中の子どもたちは生き生きと描写され、風景も遊園地の周囲にあるような派手な建物が多く、リゾート気分になるような晴れやかな雰囲気のもと、そこに住む人々の日常を垣間見れる、そんな視点で描かれていますが、自然な演技とカメラアングルのお陰でリアルに感じ取れて素晴らしかったです。
あらすじ
この映画の舞台は常夏のフロリダ、ディズニーワールドのすぐ近くにある安アパート。そこに住む6歳のムーニーは近所の子達と賑やかに遊んでいます。その子どもたちが本当に子供らしく生き生きと、ドキュメンタリータッチでリアルに描かれていきます。
ある日、同じくらいの歳の子であるジャンシーが家族と共にアパートに引っ越してきて、ムーニーとすぐ友達に。
ジャンシーを通して、町にはリゾート地によくある派手な色合いと飾り付けが施された店舗が立ち並ぶ町並みが紹介されます。ムーニーが住んでいるアパートも薄紫色だったりw。
ムーニーの母親ヘイリーはシングルマザーで一人でムーニーを育てていますが、前の仕事がクビになり、他に職を求めていくつも応募するものの全てダメ。生活は苦しいけど彼女は彼女なりにムーニーを愛し、いつもムーニーが笑顔でいられるように配慮しています。ムーニーもヘイリーの事が大好き。
周りの大人達も子供がイタズラしても怒りますが手は挙げず、言い聞かします(子どもたちは聞く気は有りませんがw)。
その他周囲の大人たちが子どもたちを大切にしているエピソードがいくつも続きます。
治安が悪そうなイメージもあまりなく、子どもたちが虐待されるシーンも皆無です。
ここに住む子どもたちを自由奔放に遊ばせながら、近隣の大人たちがまとめて面倒をみている感じ。
しかし色々な出来事があり、周囲がヘイリーを追い詰めていく形に。
身動きがとれなくなったヘイリー自らも、背に腹は代えられず法律に触れるようなことをやってしまい、ついには家庭児童局がムーニーを引き取ると言い出してきます。
ムーニーを愛するヘイリーは覚悟しますが、引き離されると知ったムーニーは逃げ出します。
保護するといっていた家庭児童局側も捕まえることが出来ず「何が保護するだ!」と激怒するヘイリー。
ムーニーはジャンシーのところに来て「もう会えない」と泣きじゃくりながら別れを告げますが、ジャンシーは何か意を決し、ムーニーの手を掴み突然走り出す。
行く先はディズニーワールド。その中心にあるシンデレラ城に向かって手をつないで走っていく二人。
ここで終わりとなります。
感想
突然なエンディングを見ながら「え?終わり?」となるものの、何か意味があるんだろうと感じているんだけど、なかなか形にならない。名優ウィレム・デフォーが出演してるし、あのディズニーワールドが園内の撮影を許可してるんですから、きっと何かあるはず。
貧困層を舞台にした作品は結構ありそこでも語られてると思いますが、そういう層であっても愛や友情は存在するということと、どんな環境であっても子供は純真に育つ、または子供を育てることが出来るんじゃないかな、というのがまず感じたこと。
ムーニーと子どもたちは晴れた空のもと楽しく遊んでいるけど、それは大人がちゃんと面倒をみているから。
ヘイリーのだらしなさについては、確かに彼女の性格は社会に不向きですが、現実にプロジェクトで生活している人は沢山いるんですよね。
ヘイリーの様な、社会よりも自分のやり方で生活するアウトロー(は言いすぎかも)や、若気の至りで失敗した人もそうだし、仕事の失敗や離婚、詐欺に騙され、なかなか立ち直れない人なども。
生きるのが下手な人もこの世にいるわけで、社会に溶け込もうにもどうやって行けば良いのかわからない人はけっこう居るんです。
しかも子供がいたら育てるのに必死で、溶け込もうと努力する余裕すら無くなるのかもしれません。
ヘイリーはその人達を象徴する存在なんですね。でもムーニーのことは本当に大事にしているのが、逆に良い意味で違和感があります。
そしてここに流れてきた人たちを邪険にする人たち。その中には警察や家庭児童局の職員など、公務の人たち(というか、事務的にこなす人たち)も含まれています。
ヘイリーは劇中で「応募できるところは全て応募した」(が採用されなかった)と言っていますが、それは「プロジェクトに住んでいるから」が理由の一つなのかもしれません。
仕事をしないと扶助も貰えない。けどどこも採用してくれない。どうすればいいの?
一つの失敗からさらに失敗し、最後には売春するしかなくなったヘイリーをさらに追い込む結果になり、そして最愛のムーニーまで奪われてしまう。
社会の構造の歪みを表現しているのかもしれません。
同時にムーニーを現実から遠ざけていたヘイリーも抑えきれず、ついにムーニーに現実の厳しさが突きつけられます。今まで自由奔放に、親の愛に守られていたムーニーには突然のことでかなりショックだったでしょう。
そして親友となったジャンシーに別れを告げますが、そのジャンシーがムーニーをシンデレラ城に導いていきます。
シンデレラ。つまり不幸な娘がお姫様になる話。ここにムーニーとジャンシーの儚い希望が描かれ、同時に強烈な皮肉も描かれているんじゃないかなと。
ジャンシーはムーニーを連れて逃げるだけではなく、もしかしたらシンデレラに助けてもらおうとしたのかもしれません。
その後は想像するしかないのですが、やはり辛い現実にのみこまれていくのでしょう。
そしてシンデレラが住むシンデレラ城は、(検索で調べると)入場料だけで120ドル程度するディズニーワールドの中心にそびえ立っています。
かたやムーニーのモーテルは1週間で35ドル。1ヶ月(4週間)で140ドル。
ディズニーワールドにモーテル約1ヶ月分に値するお金を払い、夢を満喫する人たちのすぐそばで、ディズニーワールドの入場料と同額のお金を稼ぐのも難しい、貧困にあえいでいる人たちが生活している。この明暗が貧富の差、格差社会を表しているような気もします。
そういうわけで、子どもたちはキラキラで生き生きしてたけど、それよりも周囲の現実の厳しさのほうが身に感じた作品でした。
楽しい気分になる映画ではなく、子供たちの笑顔に隠された現実の厳しさを描いた作品といえるでしょう。