映画かテーマパークか

この記事を書く1ヶ月ほど前に、映画監督のマーティン・スコセッシ監督がマーベルの映画について「映画ではない」という発言をしました。

マーティン・スコセッシ、MCU作品をテーマパーク扱い 歴代監督は応戦もフォロー忘れず −映画.com

スコセッシ監督、マーベル作品を再度批判「あれは映画ではない」「侵略されている」 −映画.com

これについて個人的に思うところがあるので、書いてみますね。

映画の世界に身を置く

僕は映画のスター・ウォーズ作品について「映画を観る」という感覚は実はあまりありません。「スター・ウォーズを観る」です。

というのは、愛着があるからという理由もありますが、決定づけたのはスター・ウォーズのMMORPG「STAR WARS Galaxies」をプレイした経験があるからです。

このゲームはスター・ウォーズの世界で「生活する」タイプのゲームでした(サービス終了しました)。
MMOの例にもれず自分のキャラクターを育てるんですが、用意されている職業なら何でもなれて、転職もできました。もちろんJEDIにも、そのJEDIを追うバウンティ・ハンターにもなれます。

また映画に出てきた場所を巡ることも出来ました。
例えばルークが育ったラーズ農場からモス・アイズリー宇宙港までランドスピーダーで移動することも、エンドアにあるイーウォックの集落に足を運ぶことも、XウイングやTIEファイターに乗って宇宙で戦ったり、カンティーナ(酒場)でだらだらすることも可能でした。

そんな世界で遊んでいると、映画を観た時にゲームとかぶるんですよね。そしてその映画の世界に自分を置くことが出来る。となると、今までの映画の見方とは違ってくる部分があります。

メディアミックスによる観客の変化

このような映画以外の展開、いわゆるメディアミックスは、テーマパークが出来たりゲームの性能が向上、普及した事で発展しました。

ゲームが原作の映画も数々作られていますが、逆に映画の拡張世界の体験としてゲームを制作し、展開する場合もあります。

覚えている限りでは、映画「マトリックス」は二作目「リローデッド」公開前に短編アニメを数本作り、更にゲームではサブキャラクターのナイオビが原子力発電所を制圧する過程など、映画では語られないシーンを体験できたりしました。
(実際プレイはしていないんですがそういう解説を見ました)

もっといい例がありました。ディズニーランドにあるスターウォーズのアトラクション「スター・ツアーズ」。

このアトラクションは大型の稼働筐体に十数人の観客を乗せ、そこで映像(=短い映画)を映しながら、その映像に合わせて筐体を動かします。
まさにスター・ウォーズの世界を体感できるアトラクションですよね。
映像と体感の融合によって、その世界に身を置くことが出来る

こういうメディアミックスが展開されていくと、ユーザーの視点からみるとゲームと映画に差がなくなり、つまりどっちが上とか下とかもなく、その世界に自分の身を置く媒体の一つとして対等になります。

そしてメディアミックスした作品は、観客が体験すればするほど「ストーリー作品」より「世界を体験する作品」という見方の比重が増えていくんですね。

ここでは「世界に身を置く」作品ということで「参加型作品」としましょうか。


スコセッシ監督の発言にあった「MCU」は、アベンジャーズを中心とした世界と、SHIELDの作品、Netflixで展開していたデアデビルを始め4作品、それに続くキャプテン・マーベルなどなどの作品が全部「同じ世界」で描かれていて、つまり一つの世界として纏められました。

その結果映像作品同士で拡張世界を作り上げたことで「MCUのニューヨーク」が出来上がり、観客はそのニューヨークに身を置くことが出来るようになります。
さらにニューヨークに行ったことがある人ならもっと身近になるかもしれません。

アイアンマン達が戦っている時に、地上ではルーク・ケイジが人助けしているんじゃ?とか想像できちゃうんですね。

マーベル関係のゲームはやってないので割愛しますが、プレイしている人はゲームと映画の差は埋まると思います。


スコセッシ作品とMCU作品

というわけで「テーマパーク」発言については、観客は今のメディアミックスや同系列作品の影響で映画以外でもその世界を体験しており、参加型作品としての「映画」という見方をする人が多くなっています。

映画を格下に見てるのではなく、あくまで「その世界に参加する1つの手段」なんです。スコセッシ監督も以下の発言通りそれについては否定していませんが、「あれを映画だと勘違いするような別の種類の観客」は上記の考えを持つ、映画を参加型媒体としている観客を示していると思われます。


「映画館がアミューズメントパーク化してしまった。それ自体は構わないが、他の種類の映画すべてを侵略するのはやめてほしい。そういった映画を楽しむ人にはいいだろうし、そういう映画を作る人々は尊敬する。だが、自分の好みではない。単純に違う。あの手の映画は、あれを映画だと勘違いするような別の種類の観客を生み出してしまっている」


スコセッシ監督の作品はあまり見ていないのですが、「アフター・アワーズ」も「シャッター・アイランド」も「ヒューゴの不思議な発明」も、スコセッシ監督の言う通り「生身の人間が感情的かつ心理的な体験を、同じく生身の観客に伝えるべくして作られたもの」として描かれています。これがスコセッシ監督の映画の定義なんですね。
観客はあくまで観客。その世界には基本的に身を置かず、ストーリーと映像からメッセージを受け取ります。

対するMCUでは、アイアンマンはじめスーパーヒーロー達のアクションが見ものになっており、ストーリーとしてはあまり深いところが無い様に見えます。
人種問題や環境問題を取り上げても、問題提起は出来ていますがそれを「超人パワー」で解決することもあり、結局彼らの活躍を描いた作品になるわけです。

観客もアクション、つまり爽快感を体験しに来ている人が多いでしょうし、自分をマーベルヒーローに照らし合わせる人も多いと思います。

「ダークナイト」/「ダークナイト・ライジング」の様な「正義とは?」という「ヒーロー自身の存在意義」を問うテーマはあまりなかったように思います。

一つの表現手法、二つの提供物

スコセッシ監督の映画とMCU作品の違いをもっと簡単に言えば、アートとエンターテインメントの違いではないでしょうか。

エンターテインメントは観客の欲しい物を提供し、アートは観客のことは気にせず作家のメッセージを発信する、という違いがあります。

絵で言えば緻密な風景画とアニメイラスト(画力vs描かれているキャラクター)、音楽で言えばクラシックとアイドルソング(楽曲と演奏表現力vs歌っている/演奏しているアイドルの容姿、ビジュアル)。

どっちが正解というものではなく、提供している物は全く別の物だけど、表現手法が同じなだけ、なんですね。

スコセッシ監督は映画監督なので、その視点からすればMCUなどの「参加型映画」が自分のポリシーにそぐわない、それだけのことだと思います。

その上で、エンターテインメント作品ばかりが普及され続けると観客の理解力が落ち、その理解力や表現力の無さが人間の成長を促さない、その結果アートを理解できなくなることを心配しているのかもしれません。


そういうわけで、今は映画という媒体は2つの形態が存在すると思います。
MCUやスターウォーズの世界などの「参加型映画」も面白く痛快ですし、「見応えのあるストーリー作品」も教訓や人間に大事な物などを伝えてくれます。

どちらも正解ですし、上も下もなく、観る価値のある素晴らしい映画はどちらにもあり、これからも増えていくことでしょう。

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